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「言葉の力」と「確かな学力」 連載1

環太平洋大学 学長
中央教育審議会教育課程部会委員
梶田叡一
(中央教育審議会前副会長・教育課程部会前部会長)


(1)新学習指導要領の現状認識「知識基盤社会」

 2008年1月の中教審答申では,最初のところに,現代は知識基盤社会であると書かれています。大量で高度な知識を土台にして現代社会ができているということです。一時期言われた「体験さえあればよい」「好きなことを好きなときにやっていればよい」では通用しない社会です。知識基盤社会はまたグローバル社会でもあります。全地球的な連携の中で動いていて基本的に国境がないのです。この2つが今回の学習指導要領の土台にある現状認識となっています。
 いまの子どもたちが大きくなって日本の中だけで仕事をするとしても,一国平和主義ではやっていけないのです。国際状況によって円高になれば,日本の景気が影響を受けます。わたしたちの生活は一見,日本の国の中だけで完結するように見えていても,国際的に全部つながっているのです。

 駅の立ち食いそばを食べるとき,国産の原料としては何があるのでしょうか。自信をもって言えるのは水だけです。そば粉やメリケン粉はほとんどカナダか中国です。エビはアフリカ沖から来ているのでしょう。しょうゆの原料である大豆もほとんど中国です。ネギもかなりの確率で日本製ではありません。日本的な食べ物であるはずの立ち食いそばでも国境を越えてリンクしているのです。

 そういう中で,国際感覚がなくては日本で仕事ができない,生きていけません。大企業はゆとり世代を嫌っています。日本の大学生の就職が厳しいにもかかわらず,上海や韓国,台湾,ベトナムからも幹部要員の学生を採用しています。そういう時代なのです。いまの学習指導要領は,そうした前提,現状認識でつくられているということです。

 知識基盤社会を生き抜いていくためには知的な力が必要です。学校は勉強して賢くなるところです。賢さがなければ人間的ではないのです。生物学者リンネがホモ・サピエンスという学名を人間に与えました。サピエンチア(知性)がなければ人間らしくないのです。理性的に物事を考えることができる,合理的に判断できる,その場の感情に左右されないで冷静にやっていける,などはすべてサピエンチアです。

(2)新学習指導要領のねらい「確かな学力」

 現代を知識基盤社会,グローバル社会としてとらえる中で,今回の学習指導要領の改訂になりました。平成23年度から小学校は新しい教科書になりました。中学校は24年度から,高校は25年度からです。ここで頭に置いてほしいのは,今回の学習指導要領は単なる10年に1度の手直しではないということです。フィロソフィー(哲学)そのものが変わったのです。新しいフィロソフィーの土台になっているのがいまや知識基盤社会,グローバル社会になっているという現状認識です。教育の基本的なとらえ方が「確かな学力」を中心としたものに変わりました。「確かな学力」とは,学習指導要領的に言うところのサピエンチアです。知性の力です。

  「生きる力」は「確かな学力に支えられた生きる力」です。以前は「ゆとりの中での生きる力」と言われていました。10数年前に出た教育審議会の答申では,「ゆとりの中で生きる力を育てる」という表現が28回繰り返されています。しかし,2008年1月の中教審答申では,そうした表現は1回もありません。

  「生きる力」についてもう1つ,以前は「自ら学び,自ら考える力」とよく言われました。それも大事ですが,その前に先生の話をきちんと聞いて,その通りやってみる力がないといけない。よくわかっていないのに「あなたの考えを言ってごらん」と話をさせ,その場限りのいい加減なことを言う子どもには育ってほしくないのです。きちんとした発言をするためには,いろいろと読んだり,人の言うことを聞いたり,いろんなことを考え合わせたりしたうえででなければいけないのです。

  今回,「確かな学力」を構成する基本的な能力として習得,活用,探究ということが言われています。基礎・基本に関わるものがすべてわかって,できて,覚えてという習得が土台にないといけません。そのうえに活用の力が育っていくのです。そして,こうした習得と活用の力を基盤として新しいものを生み出す探究という創造的な力が育っていかないといけないのです。このうちのどれがいちばん大事なのか,ではないのです。一部の教育学者が「これからの教育は反復練習だ」「基礎,基本をわかって,できて,覚えるのがいちばん大切」と言いましたが,それは一面的すぎる考え方です。それに対して,「それでは単なる教え込みになるから,体験を大事にしなくてはいけない」と言ったりしましたが,この考え方もまたダメです。習得も活用も探究も皆必要なのです。

  習得,活用,探究という言葉を使ったのは,日本古来の教育論を下敷きにした部分があります。守・破・離です。守・破・離ということは,いまでも歌舞伎などの芸能で,またお茶,お花などの修業に関連して言われています。学問も守・破・離です。「守」は,これまである基礎的な文献に書いてあること,また先生の言われることを拳拳服膺(けんけんふくよう)する,ということです。つまり習得です。「破」は習得したことを自分なりに打ち破っていこうとすることです。活用にも通じるものでしょう。そして「離」は一人旅です。自分の内側に貯め込んだ知識や,それを活用する力を土台にして新しいものを求めて正解のない世界に進み出ていくということです。習得,活用,探究は,守・破・離と,ほぼ重なっています。昔から「守」だけが大事,「破」だけが大事,「離」だけが大事という教育論は,日本にはありませんでした。習得,活用,探究すべてが同じように大事なのです。それがまさに「確かな学力」の中身となっていくものなのです。

  学力構造論的に言うと,氷山モデルを考えてみてください。氷山の水の上に浮かんだ部分が知識や技能です。外からすぐにわかります。水面から少し下にあって,のぞきこめば見えるけれど必ずしも十分には見えないのが,思考力,表現力,判断力であり,活用の力です。その下には関心や意欲が位置していないといけないでしょう。そして,いちばん大基には,いろんな体験が集積していないといけないのです。体験だけが大事,関心・意欲だけが大事,思考力,表現力,判断力だけが大事,知識や技能だけが大事ということではないのです。氷山は一体になっていて,そこから無理に1つの要素だけを取り出して考えるのは,学力論としておかしいのです。今回の「確かな学力」はそうした考え方に立つものです。

  何らかの大事な知識をまず与えて,その知識が新しい思考を促し,新しい関心を呼び起こし,そして新しい体験にまで広がっていく,という上から下への行き方もあります。これとは逆に,活動して,体験して,新しい関心ができて,新しいこだわりができて,それによって追求,探究し,思考して,それが結晶化して新しい気づきになり認識になる,という下から上への行き方もあります。どちらも大事です。総合的な視点から見た学力観,学力形成観でないといけません。

  「確かな学力」という言葉は,2002年に当時の文部科学大臣の遠山敦子さんが「学びのすすめ」というアピールを出して,その中で使われました。当時は第2期のゆとり教育のための学習指導要領が完全実施されるところでした。しかし,手放しで,子ども中心でやられては困るということで遠山大臣が出しました。

  勉強はどうでもいい,努力と言ってはいけない,がんばれと言ってはいけない,好きなことを好きなようにやればよい,こういう考え方が流布しましたが,やはりそれではいけない。学びが重要であると,学校は勉強して賢くなるところだと,遠山大臣は言ったわけです。これがアピールの内容です。学校教育の当たり前のことを当たり前にやっていこう,という呼びかけだったのです。

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