改訂 実践教育評価事典
教育評価の基礎理論を解き明かし,各教科の「授業作りにどう生かすか」を詳説。
絶対評価(目標準拠評価)の時代に,評価の目を大切にした教育実践を目指す教師必携の一冊。
内面性の人間教育 連載2
人間教育研究協議会代表
梶田叡一
(中央教育審議会前副会長・教育課程部会前部会長)

本当に強い子、本当に理性的な子、本当に人間として充実した子に育てようと思えば、その子の内面の成長発達を考えなければいけません。そのために、どういうことを考えなければいけないのでしょうか。
土台としては、一人ひとりの内面世界へのこだわりをもつことです。「この子は、こんな顔をしてこちらを見ているけれど、本当はどういう気持ちなのか」。時々とんでもないことを言う子がいます。しかし、本当にそのことが言いたいのか。ただ先生の注意を引きたいのか。先生の注意を引きたいから、とんでもないことをいうのは小さい子ではたくさんあります。逆に、とても素晴らしいことを言うけれど、それは「本当に、その子の考え方なのか」。そうではなく、「上手に先生のもっている正解を先取りして言っているのか」。教師や親の側には、そういうこだわりが必要なのです。
以前ある小学校の発表会に行ったことがあります。上流の石はゴツゴツなのに、下流の石はなぜスベスベなのか、という学習をしていました。4年生の理科でした。前もって別の日に、川で上流のゴツゴツの石を集めさせて、観察ノートも書かせていました。また別の日に下流でも石を集めさせて、どういうところにスベスベの石があるか、についても書かせています。発表会の日には、上流の石はゴツゴツなのに下流の石はなぜスベスベなのかを考え話し合って、結論的なものをまとめ、それを実験的に検証する、という授業でした。
先生が「上流の石はゴツゴツなのに、下流の石はスベスベの石ばかりだった。なぜそうなるのか、考えたことを言ってみよう」と発問されると、児童はハイハイと手を挙げました。先生が当てられたのは、見るからに優等生の子でした。その子は「上流に行ったら石はみんなゴツゴツでした。それは周りに崖があって、そこから崩れた石が、そのまま川に入ってきているからだと思います。下流へ行ったらスベスベになっていました。それは上流から下流へ石が流されていく中で、石同士がぶつかったり、こすれあったりして角が取れてスベスベになるからだと思います」と言いました。先生は、それを聞いてニコッとして「どうだ」とみんなに言いました。先生の顔には「正解」と書いてあります。子どもたち全員が「そうです」と言いました。
子どもたちのワークシートには、ほかの答えを書いた子もありました。、しかし、全員が「そうです」と言ったのです。先生がニコッとしたら、そうなります。
「ではどうやって確かめるか書いてみよう」と先生は次のステップに進みました。また多勢の子どもがハイハイと手を挙げました。別の優秀そうな子を当てました。「器にゴツゴツの石を入れて振ってみたらよいと思います。振って、ゴツゴツの石がぶつかったり、ふれあったりして砂ができて、角が取れて丸くなって、少しでもスベスベになったら、さっきみんなで考えた、流されている中で、角がぶつかったり、こすれたりしてスベスベになるという考えが確かめられると思います」。先生はまたニコッとして「どうだ?」と言ってみんなの顔を見ました。みんなは「そうです」と言います。「じゃあ班ごとで確かめをしよう」ということで、みんな班ごとに器などの道具を机の上にひろげ、ガチャガチャやって終わりです。しかし、これで授業になりますか。先生の顔色を読むということが目標であれば、よい授業です。でも、学力はつくのでしょうか。
授業後、批評を頼まれました。「今日の時間でいちばんいけなかったのは、当てた子どもが『正解』を答えたときにニコッとしたことです。子どもが先生の待っていた答えを言ったとしてもポーカーフェイスでないといけない。『君はそう思うか。ほかにも考えはあるはずだけど?』とやれば、ほかの答えを書いた子もいるわけですから手を挙げるはずです。机間巡視をしたりしてほかの答えを書いている子がいることに目を留めていなければうそです。その子に、『なかなか別の意見が出ないな。君はどういうことを書いたのだったのかな?』と言ってみる。そういうことをやっていって初めて授業らしくなるのです。だから最初から『正解』を言いそうな優等生に当ててはいけない。しかし、何よりいけなかったのは、待っていた答えが出てニコッとしたことです。」
でも、なぜそうした授業が行われてしまったか。一人ひとりの子どもが本当に何を考えているか、何を感じているか、を考えようとしていなかったからです。先生の前でみんなが「そうです」と言っているけれど、「そうです」と言っている子どもの顔の後ろ側に、何が潜んでいるかということについてのこだわりがなかったからです。
学びは、内面の世界で起こっています。それを外側に表れたものだけで判断しているからいけないのです。子どもの顔の後ろ側で何が起きていないといけないか、というこだわりがなくては、学習指導をすることはできないのです。
では、どうしたら内面の世界にこだわることができるのでしょうか。
A あらゆる指導・援助の前提として一人ひとりの内面世界の理解・洞察を。
この子の目には何が映っているのか、この子の心のスクリーンには何が去来しているのか、ということです。大人の物の見え方、考え方と、小学校低学年の見え方、考え方は大きく違います。だから数え棒を準備したりするのです。具体的操作の時期で、抽象的な思考がまだ十分にできないのです。大人は、こう考えた方がよいと思っても、子どもにとっては、自然ではないのです。4年生くらいから抽象的な思考ができるようになってくるけれど、なかなか十分にはできません。本当は未知数については、aやbといった記号を使えばいいのですが、白抜きの四角で表わしたりするのはそのためです。記号を使うところまで抽象的な思考ができるようになるのは、小6か中1ぐらいからです。
道徳意識でも同じようなことがあります。小学校低学年ではほとんど結果道徳です。Aちゃんはお母さんの手伝いをしていて、手が滑って皿が4枚割れました。Bちゃんは、お母さんに腹を立てて皿を1枚床に投げつけて割りました。どちらが悪いでしょう。低学年の子どもの多くは4枚割れた方が悪いと言いがちです。結果道徳です。ところが3、4年以降の子どもは、わざとやった方が悪いと言います。動機道徳です。中学になると、もう1つ判断材料が加わります。どのくらい反省しているかです。わざとやったことは悪いし、手が滑ったのもよくないけれど、反省しているんだったらあまり責めてはかわいそう、という話になります。
発達段階を踏まえて子どもの内面をとらえることが必要です。子どもの顔の後ろ側に、自然な気持ちとしてどういうことがあるのかについて、よほどこだわって受け止めようという気持ちがない限り、上っ面しか見えないのです。
B 一人ひとりの内面を素直に表出できる風土創りを。
だれもが上っ面で格好つけるような学級づくりをしてはいけません。先生と1対1になったら、素直に何でも言える、「恥ずかしいことでも、しかられそうなことでも、あの先生になら言っても大丈夫」、という関係づくりをしなければなりません。そうでないと内面の世界は隠されたままになります。まずは、何でも口に出して大丈夫、という関係づくりです。
C 一人ひとりの内面のさりげない表出をとらえたい。
上手な人は、目のちょっとした動きでもとらえます。手の動き、しぐさ、表情、態度などちょっとしたことで、「こう言っているけど、どうもなあ」と見てとるわけです。 つぶやきや隣の子へのささやきなど、さりげない表出をとらえる感受性がほしいものです。ノートの記入内容などにも気を配る必要があります。
D 発問や助言、指示を一人ひとりの内面まで届かせたい。
小学校で、低学年と高学年をもった人は、「この言い方は高学年だったらわかるけどなあ」と思うときがあります。それぞれの段階で、どうやったら子どもがピンと来てくれるか。言葉遣い、テンポ、ボキャブラリーなどが異なってくることに気をつけたいものです。 (つづく)